LLA第37回全国研究大会フォーラム(97.7.31)

インターネット時代が日本の語学教育に求めるもの

進行役
尾関修治(おぜき しゅうじ;中部大学;ozeki@clc.hyper.chubu.ac.jp)
提案者
小栗成子(おぐり せいこ;中部大学(非常勤);oguri@clc.hyper.chubu.ac.jp)
三枝裕美(さいぐさ ひろみ;京都大学;saigusa@french.ic.h.kyoto-u.ac.jp)
河村春美(かわむら はるみ;南山大学(非常勤);kharumi@ic.nanzan-u.ac.jp)



インターネットが急激に普及してきている。簡単な設備で、誰もが、国境を越えた情報をやりとりできるようになってきた。日本人も、これまでのような日本語にふきかえられたり解説付きのものではない外国語に接する状況が急速に増えている。CNNの登場やデジタル多チャンネル衛星放送なども含めた新しいメディアの出現により、日本人が外国語にさらされる環境は10年前あるいは5年前と比較しても量的にも質的にも変化した。

たとえば、特に英語を専門とも得意科目ともしない人が自分の趣味の話題について海外で提供されている英文のWWWページを検索し、数千語の内容を読み、そのページの提供者と英文電子メールでやりとりをし、新たに自分のWWWページを英文で書いて世界に向けて公開する、ということが現実に起こっている。あるいは英語が担当科目ではない小中高等学校の教員が中心となって、日本の生徒と海外の生徒がインターネットを利用して交流し、その中で必要に迫られて英語を使用するという実践も増えてきている。

インターネット(とインターネット的なもの)の普及は日本人にとっての「外国語環境」を質的に変えてしまった。もはや「プラクティカルな英語能力」は1週間の海外旅行に必要な会話ができるというレベルのものではなくなってきている。このようなことが小学生から高齢者までにありうるということは、日本の外国語教育は想定も期待もしていなかったし、それに耐えうるシラバスも内容も準備していないのではないか。

踏み込んでいえば、自動翻訳機に置き換え可能な「翻訳能力」や、電子辞書に対応できない「辞書を引く技術」ではなく、「表現者としての知識と技術と見識」が教育を受けた人々には必要になってきている。そのような能力は以前から必要だったのだが、特別ではない人々が表現力を駆使しうるようなメディアがまず普及してきてしまっているということが、現在の語学教育の限界を目立たせている。

この分科会では、そのような質的転換をもたらしたインターネットが日本の旧来の外国語教育の文脈の中でどのように便利に利用できるかではなく、インターネットが語学学習者によって自由に利用される時代に日本の語学教育はどのような変化を迫られているか、あるいはもともと変更を迫られていて、インターネット時代の到来とともに明らかになってきたのは何か、各提案者の具体的な実践例をきっかけにして会場と議論する。

提案者とその提案の概要は以下の通り:
 

小栗成子(中部大学;oguri@clc.hyper.chubu.ac.jp)
中部大学で1994年以来行われてきた、電子メール、ネットニュース、WWWを利用した語学教育を紹介し、その反省点をふまえて、特にシラバス・授業方法とオンラインコミュニケーションの関わりについて提案する。
河村春美(南山大学;kharumi@ic.nanzan-u.ac.jp)
小学生から大学生までの英語教育を担当した経験から日本の英語教育の問題点を指摘し、南山大学と中部大学との共同プロジェクト「法律用語WebNotebook」を通して一般英語教育と専門教育との連携について提案する。
三枝裕美(京都大学;saigusa@french.ic.h.kyoto-u.ac.jp)
中国語教育マルチメディア自作教材とそのWWWへの移植作業を紹介し、自作教材とインターネット上の情報との連携を通して、入門レベルの語学教育と実世界との関わりについて検討する。
尾関修治(中部大学;ozeki@clc.hyper.chubu.ac.jp)
司会とまとめ。

会場での議論は、インターネットの利用方法よりも語学教育にとっての課題についての意見交換を中心としたい。技術的な情報交換については、メーリングリストなどのオンライン・コミュニケーションの場が多数存在するので、その利用方法についても簡単に紹介する。


当日の討議の内容はこちら


Shuji OZEKI; ozeki@clc.hyper.chubu.ac.jp