大修館「英語教育」97.2月号「英語教育ネットワーク通信」原稿

学びあう共同体の形成 (1)

 イヴァン・イリッチが「脱学校の社会」(Deschooling Society)を著して四半世紀が過ぎた。「学校を廃止しなければならない」と宣言し衝撃を与えたこの著作が、インターネットの発達とともに再評価され、再び多くの人に読まれている。

 イリッチのすごさは、「学校」が学習を妨げるしかけとなっていることを暴き出したことだけでなく、学校を乗り越える学習の様式として「学習のためのネットワーク」を提案していることだ。25年前に、学びあう人たちの出会いの場をコンピュータとデータベースと端末を使って実現しようと提案しているのだ。

 イリッチの提案は、インターネット時代になって地球規模で実現され始めている。今月から3回、その具体的な例を紹介し、今後、学習の共同体がインターネットでどのように形成されていくか、そこに英語教育はどう関わっていけるのか、考えていきたい。

 最初に取り上げたいのは、96年3月号の本欄でも紹介された滋賀県大津市立平野小学校(http://www.hirano-es.otsu.shiga.jp/)の「全国おたすけメール」だ。石原一彦教諭を中心にインターネット利用教育のすばらしい実践を進めてきた平野小学校も、100校プロジェクトの終了にともないひとまずインターネット環境を失ってしまう。今年度末までにぜひ多くの人たちにこのページを訪れていただきたい。

 「全国おたすけメール」は、このページを訪れた誰でもが自分の得意分野と電子メールアドレスを登録することができ、小中学生が登録者に電子メールを出して自由に質問することができるというしかけだ。つまりインターネットを通じて「教える」ボランティアと「学ぶ」子どもたちが自由に出会い、質問を専門家・現場にいる人に直接たずねる場となっている。インターネットを利用できる環境にいる小中学生なら誰でもこのページを利用することができる。登録している人々も、学生や核物理学の研究者、フリーのライターなどと多彩だ。

 平野小学校では主に6年生が課題学習のためにこのページを利用して全国のボランティアに質問を送っている。日本中、さらに海外の日本人学校の生徒や不登校の生徒たちが、自分に必要な知識を自分の手で集める場となってほしいと石原教諭は語っている。教えたい人と学びたい人が学校を超え年齢や社会的立場を超え、自由に出会いコミュニケーションを始め、教え学び合っていく、そんな実践がもう日本で始まっている。この実践が広がっていくとき、日本の教育も大きく変化するかもしれないという予感がある。

 英語教育をはじめとする外国語教育はこのようにして始まっている「学びあう共同体」の形成と発展にどのように関わっていけるだろうか。

 インターネットという学習の共同体のための環境は普及してきた。今、教室を世界に開き、子どもたちの学習環境を飛躍的に広げていくための最大の障害は、学校にインターネット接続=生徒が使える電話回線が設置されないことと、「英語が使えない」ことだ。前者は徐々に克服されていくだろうし、おそらくそれ以前に家庭や塾でインターネットを接続し利用を始める生徒が増えてくるだろう。

 後者、つまり英語教育の問題は深刻だ。小中学生が自分の知りたいことを世界のどこかの誰かに聞き、その答えを読んで(聴いて)コミュニケーションを深めていく学習が広くなされるという事態を想定した英語教育を日本は行っているだろうか。あるいは近い将来実現しようと努力しているだろうか。自己表現し相互理解を深めることを第一の目標にした言語運用力を養うという点では国語教育も危ういかもしれない。小学校から大学まで、日本の言語教育全般に関わる問題といえるのではないか。

 愛知県の高校の先生たちがネパールの高校とインターネットで交流した実践が昨年秋に報告された。(http://www.tokai-ic.or.jp/Schoolnet/index-jp.html)その中で日本の高校生たちが驚いたのは、ネパールの高校生たちが、日本の高校の先生たちもたじろくほど流暢に英語で意思疎通ができることだった。日本の生徒たちは、言語教育の不備のために、アジアの中でも知的に取り残されていかないだろうか。

参考文献
イヴァン・イリッチ.『脱学校の社会』東京創元社.1977.
イヴァン・イリッチ他.『脱学校化の可能性』東京創元社.1979.
電子メール:ozeki@clc.hyper.chubu.ac.jp
ホームページ:http://langue.hyper.chubu.ac.jp/ozeki/
(中部大学助教授 尾関修治)