平成8年度中部大学学内講座

こどものことば・ヒトのことば

−言語習得と外国語学習−

国際関係学部 助教授 尾関 修治

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1.ヒトはなぜことばを話すのか

こどもの成長を身近に経験したことのある人なら誰しも、こどもがことばを習得することに驚きを感じたことがあるのではないでしょう。「アー」「クー」という発声から始まって、「マンマ」「ブーブー」と何かしら意味のある語を発するようになり、歩き出すと同時に次々に語彙も豊かに、発話も長くなって、3歳ともなれば、大人の口まねか、思わぬませたことも口走って笑いを誘ったりします。

 驚くべきことはヒトのこどもは冗談を言ったりことば遊びをしたり、歌を歌ったりして、「ことばを使うこと」そのものを楽しんでいることです。あるいは本を読んだり自分で文章を書いたりして文字言語を楽しむようにもなり、さらに外国語を学んで異なる文化的背景を持つ人々と理解し合おうと努力したりもします。

 実は「ことば」を使うのは人類だけではありません。動物も様々な方法でお互いにコミュニケーションするすべを持っています。たとえば、ゴリラは怒っている相手をなだめたり仲間の行為を皆で非難する「ことば」を使います。しかし普段はゴリラは非常に寡黙です。ヒトのこどものように、時としてうるさいほどに、ことばを使うことそのものを楽しむということはありません。

 ではヒトはどのようにしてことばを獲得したのでしょうか。

 ヒトが音声言語を使用できるようになるためには2つの身体的発達が必要でした。脳の発達と発声器官の発達です。

 1950年代まで、人間以外の動物は言語を使用するには十分な知的能力がないと考えられていました。これに対し、類人猿に言語を教える様々な試みがなされてきました。チンパンジーに手話を教えた実験、さまざまな形のプラスチックのチップを使って言葉の代わりとした実験、コンピュータにつながった特殊なキーボードを使った実験などです。

 これらの実験を通して、類人猿に人間と同じような言語を使う能力があると証明できたかどうかという点については、専門家の間でも評価は定まっていません。しかし、類人猿に言語のような記号を操作して意思を疎通する能力があり、さらに記号を組み合わせて新たな文を作り出す、つまり文法を習得する能力があることは否定できないと思います。

 類人猿が言語をあつかう能力があるとして、「話す」にはまだ障害があります。それは類人猿と人間での発声器官の違いです。

 厳密にいうと、人間には発声のためだけに形成された特別な器官はありません。舌、口腔、喉頭、咽頭、声帯といずれももともと別の機能を持っています。ところが、人間だけがこれらの器官が発声に好都合な形態や配置になっているのです。

 人間を含め、動物は鼻から肺へつながる経路と、口から胃につながる経路が交差しています。おおざっぱにいって、人間以外の動物ではこの経路はお互いに流入しあわないよう、つまり食べたものが肺の方へ流れないように隔離されています。ところが、人間の大人は、咽頭が下がっていてこの交差点が広くなっています。(図)人間が息を止めないと飲み物を飲めなかったり(動物は呼吸しながら水が飲めます)、お正月に餅が気道に入りそうになって窒息するお年寄りがいたりするのはこのためです。(咽頭は歳をとるにつれてますます下がるので、お年寄りは餅が詰まりやすくなるのです。)人間の喉がこのように変化したのは、人間が直立したことと関係があると考えられています。肺の重みで咽頭が下がったわけです。

図:ヒトの成人とチンパンジーの喉の形態
(正高信男「0歳児がことばを獲得するとき」より)

 咽頭が下がったために人間は喉に食べ物が詰まったり鼻から飲み物が出てしまったりと不便になったわけですが、呼気を口から出すことができるようにもなりました。これが人間が発声することができる理由です。人間以外の動物は呼気を口から出すことが困難なので、声で「話す」ことが難しいのです。

2.こどもはなぜことばを話せるようになるのか

 人間は呼気を口から出せると書きましたが、人間の乳児は少々違っています。6カ月ぐらいまで、つまり体を起こし、やがて立てるようになるまでの乳児は、類人猿と同様、咽頭が下がっていません。このために乳児はむせることなく母乳やミルクを一心に吸うことができます。そのかわり、呼気を肺から口へ出すことも大人に比べると困難です。ほかにも口腔が狭く舌が自由に動けないなどの理由もありますが、3カ月ぐらいまでの乳児が話せないのはそもそも口から息を出すのが難しいからというのが大きな理由です。

 また、口から呼気が出せるようになってからも、乳児は大人に比べると呼気の時間と吸気の時間の差が少ない、つまりハッハッと荒い息をついているような呼吸の仕方をしていますから、安定して発声することは困難です。赤ちゃんがお母さんに向かって「ダー」と声を出すとき、赤ちゃんは体力を振り絞って一心に声を出して呼びかけているのです。

 体力が付き立ち上がれるようになると、発声も活発になります。それを待ちかまえたようにさまざまなものの名前を覚え、表現できるようになっていきます。やがて1語からなる文、2語からなる文、3語文と次第に長い文を扱えるようになります。こうして3歳頃には、受動文ややりもらい文(「ちょうだい」「あげるね」)などの複雑な文を除いては、母語をほぼ不自由なく話せるようになります。

 このように非常に短期間に母語の習得が進むことは言語学者にとっては非常に興味深いことです。子どもは果たして生まれつき言葉を知っているのか(言語生得説)、それともすべて後天的に習得するかは論争の対象となってきました。

 現在では、言語生得説が有力であるようです。人間はおそらく言語を習得するための基本的な仕掛けを生まれながらに脳に備えていて、母親をはじめとする周囲の人々の発話にふれることでその母語の特徴をつかみ取って文法を形成していくのだと考えられています。たとえば疑問文を発するには人間は英語のように助動詞を文の外につけるか(Are you〜)日本語のように疑問を表す言葉を文の外につけるか(〜です+か?)いずれかの方法を使うと考えられていますが、幼児は大人の言葉にふれることによってこのいずれであるかを習得するようです。その証拠にこのいずれでもないでたらめな作り方をした疑問文を子どもが発することは観察されていません。

 おそらく人間のことばを習得する能力は、道具を扱う能力などと同様、類人猿に共通する大脳に備わった機能なのでしょう。しかし、成長につれて2語文、4語文などの長い文章を習得することと、自発的な発話が急増するということが、手話などを習得した類人猿とは大きな違いであることも指摘されています。このようにことばを使うことそのものに楽しみを見いだし、ことばによるコミュニケーションに大きく依存していることが、人間の最大の特徴なのでしょう。

3.外国語をどうやって習得するか

 1960年代までは、外国語学習について「臨界期仮説」に基づいて幼児期の教育を重視する学説が流行しました。言語を習得することが可能なのは子供の脳が発達するある時期までであって、それ以降は習得が困難になるという説です。その証拠として幼児期に子どもは母親の「不完全」で「秩序だっていない」「不十分な」発話にさらされているだけで母語を短期間に完全に習得するのに、就学してから文法書に基づいて外国語を熱心に習っても母語のようにやすやすと習得することができないということがあげられてきました。これはある時期の子どもには特殊な能力があって、成長するとそれが失われてしまうからだというわけです。

 しかし、母親と子どもの言語活動の研究が進むうちに、母親がこどもに与えていることばは不十分なものでもでたらめなものでもなく、実は理にかなった言語習得のトレーニングを長時間根気よく行っているのだという説も出てきました。幼児が短期間に母語を習得するのは幼児だけの特殊な能力が存在するからではないかもしれないのです。

 そのような観点からいえば、外国語を自由に扱えるほどに習得するのは何歳になっても可能だといえるでしょう。

 大人が外国語を学ぶために大切なのは次の3つだと思います:

 1) 時間:毎日十分な時間その言語に接することができるか。
 2) 教材と学習法:能動的に既存の知識を生かした学習ができるか
 3) 動機:話したい相手、話したい内容があるか

 子どもがことばを発するようになるのはそこに話しかけたい母親や父親がいるからです。ことばを話すことで理解し合いたいという熱意を持って外国語を学ぶことがなによりも大切なのです。

読書案内

言語学を学ぶために:
ジョージ・ユール「現代言語学20章−ことばの科学−」大修館書店.1987.
脳と言語の関わりを学ぶために:
杉下守弘「言語と脳」(叢書・脳を考える)紀伊国屋書店.1985.
こどもの言語習得について学ぶために:
伊藤克敏「こどものことば−習得と創造−」剄草書房.1990.
正高信男「0歳児がことばを獲得するとき−行動学からのアプローチ−」中公新書.1993.
人類の発達について学ぶために:
松沢哲郎「チンパンジーから見た世界」(認知科学選書23)東京大学出版会.1991.
スー・サベージ・ランボー「カンジ:言葉を持った天才ザル」日本放送出版協会.1993.
リチャード・リーキー「ヒトはいつから人間になったか」(サイエンス・マスターズ3)草思社.1996.