1996年に読んだ本

−極私的読書ノート−

 このリストは全くもって無節操かつ全方位的な私の読書行動の記録をとどめるために作成・更新しているもので(特に図書館から借りだした本の記録を残す必要があって)、個々の著作について責任ある書評を提供しようとするものではありません。また、原則としてお仕事関係の本は除いています。(★=読まなくてもよかった。人には勧めない。★★=まあまあ。読んで損はなし。★★★=スバラシイ。目から鱗。おすすめ。)


1996年私の読書(現時点での)トップ5

第1位
戸塚滝登『コンピュータ教育の銀河』晩成書房.3月読了
第2位
イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』(現代社会科学叢書)創元社.8月読了
第3位
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』全3巻.新潮社.7月読了
第4位
佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』文芸春秋.10月読了
第5位
Mark Pendergrast. For God, Country and Coca-Cola. Phoenix. 8月読了


1996年12月

NHK取材班『戦後50年 そのとき日本は 第4巻 沖縄返還・日米の密約 列島改造・田中角栄の挑戦と挫折』NHK出版.1996.2. 1,900円
1996.12.読了。名東図書館より借り出し。★★
1972年に沖縄が返還された際の日米間の裏取引を描いたものが前半。これはテレビ放映時の方が迫力があった。後半は徹底的な利益誘導型政治を行った田中角栄の出自から引退までをたどったもの。当時の列島改造の狂騒を思い出すとともに、今に続く負の遺産の大きさに暗澹とする。
NHK取材班『戦後50年 そのとき日本は 第1巻 国産乗用車・ゼロからの発進 60年安保と岸信介・秘められた改憲構想』NHK出版.1995.6. 1,900円
1996.12.読了。名東図書館より借り出し。★★
NHKスペシャルでシリーズ放映されたものを本に起こしたもの。前半は戦後自動車産業が衰亡した中から官民一体で国産乗用車の開発と普及を目指し、1955年にトヨタがクラウンを発売するまでの開発物語を描いている。戦前の航空機産業の技術者が戦後の自動車産業の技術を作り出したことは、他の本でも読んでいたが、再確認。後半は自分が生まれた前後の時代、60年安保の時代を描いたもの。「昭和の妖怪」岸信介は戦前からの政治状況の延長線上に生き、そのとりまきたちの政治手法はその後も受け継がれていくのだが、それはおそらく田中角栄によって変えられたのであろう。つまり戦争に無反省な政治史観と金権政治しか日本の戦後与党政治にはなかったのだなあ。民主主義なんてどこを探しても出てこないじゃないの。
相田 洋 他『新・電子立国 3.世界を変えた実用ソフト』NHK出版.1996.12. 1,500円
1996.12.読了。★★
それぞれのアプリケーションソフトごとにそれぞれの開発物語があるのだなあ。ジャストシステムの浮川さんは自然言語処理の研究会などにも顔を出して有名なようで、おもしろい人だなあ。
相田 洋 他『新・電子立国 2.マイコン・マシーンの時代』NHK出版.1996.11. 1,500円
1996.12.読了。★★★
「おいしいご飯の炊き方」のプログラムが松下の実験室の数人の女性によって決定されていて、しかもその実験に使われている米が特定の産地のコシヒカリである、つまり市販の炊飯器が特定の銘柄米でもっともおいしいご飯が炊けるようにプログラム、最適化されていて、それが銘柄米の人気を左右しているかもしれないということには少なからず衝撃を受けた。ということはうちの炊飯器はアキタコマチを炊いていてはダメなのかー。
タイム誌編集記者『ユナボマー 爆弾魔の狂気』KKベストセラーズ.1996.9. 1,600円
1996.12.読了。★
興味深く読んだけれどあとに残るものなし。
相田 洋 他『新・電子立国 1.ソフトウェア帝国の誕生』NHK出版.1996.10. 1,500円
1996.12.読了。★★★
ビル・ゲーツについて書いたものでは、この本が今まで一番おもしろかった。
カレル・ヴァン・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』毎日新聞社.1994.11. 1,800円
1996.12.読了。★★★
遅ればせながらやっと読んだ。異常な物価の高さとか、GNPの高さと生活の貧しさの間のずれとか、常日頃断片的に疑問に思っている日本のありさまを、官僚とそのとりまきの人々による支配と、彼らに「説明する責任」がないことからくるシステムとして暴いている。「進歩的文化人」、学者たちもそのシステムを維持するために機能してきている。このしくみをいかに変えていくか著者は提案しているが、大学に関しては、変える努力をするだけむだ、と断じられてしまっている。ああ。


1996年11月

立花隆『サイエンス・ナウ』朝日文庫.1996.11.
1996.11.読了。★★
立花隆の著作のおもしろさは、「ソクラテス的」とも評される、取材対象(人にしても資料にしても)と徹底的に対話し、不合理なものを許さないという姿勢に尽きる。
千葉喜彦『からだの中の夜と昼』中公新書.1996.8.
1996.11.未読。
名和小太郎『サイバースペースの著作権−知的財産は守れるのか』中公新書.1996.9.
1996.11.読了。★★★
半ば「お仕事関係」の本として読んだ。事例の解説として興味深く読めたが、さてそれではどうしたらいいかという点で止まってしまう。誰もが著作権を侵害できるようになってしまった時代に、信頼できるガイドブックは出ないものか。
J.R.R.トールキン『ホビットの冒険』(岩波世界児童文学集6)岩波書店.1993.4.
1996.11.読了。★★★
子供に買ってやった本に手を出して読了。「指輪物語」に比べて物語世界はぐっと狭いが、その分ためらわずに一気に読めた。
一橋文哉『闇に消えた怪人−グリコ・森永事件の真相』新潮社.1996.7.
1996.11.読了。★★★
出張先の広島の書店で購入。帰宅してから出張疲れで眠いのを押して一晩で読了。事件の経過、脅迫状をたどっていくと確かにこの事件の異常さがあらためて思い出されてくる。ただ、話が核心に迫ってくると、「Xが」「Z氏」「B元組長」などと次第に不明瞭な表現になっていく。なぜ今この段階で本として書かなければならなかったのかという疑問が残る。不気味で後味の悪い読後感。


1996年10月

佐々淳行『連合赤軍「あさま山荘」事件』文芸春秋.1996.6.
1996.10.読了。★★★
本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間−サイズの生物学−』中公新書.1992.8.
1996.10.読了。★★★
ずいぶん以前に買ったのだが読了していなかった。東京への出張の往復中に読了。生物のサイズと寿命、速度、運動量などの間の相互関係を説明する。発売当時話題になった。建築や物理、機械に興味のある人におすすめ。
K.J.アンダースン&D.ビースン『星界への跳躍』上下.ハヤカワ文庫.1996.7.
1996.10.読了。★★★
久々のハードSF。近所の書店で衝動買い。(財布の中の最後の残り金で購入。)地球上の文明が核戦争で滅んだ後のスペースコロニーの人々の物語。フィリピン人の少年がヒーローなのが面白い。
荒俣 宏『夢の痕跡−20世紀科学のワンダーランドに遊ぶ』講談社.1995.10.
1996.10.読了。名東図書館より借り出し。★★★
荒俣宏的博物的科学技術史。新奇さこそ命・ヨーロッパの人々の驚きを伝えるドイツ科学博物館と、合理精神の歴史をつづるアメリカ・スミソニアン博物館に遊び、20世紀の科学技術をパノラマ的に一覧する。
朝日新聞社編『スターからアイドルへ』(「二十世紀の千人」第9巻)朝日新聞社.1995.10.
1996.10.読了。名東図書館より借り出し。★★
桂 春団治からマイケル・ジャクソンまで。マージナルな人々の生き方の魅力。
NHK取材班編『一億玉砕への道−日ソ終戦工作』(「ドキュメント太平洋戦争」第6巻)角川書店.1994.4.
1996.10.読了。名東図書館より借りだし。★★
錯誤に始まり錯誤に終わり、いまだに歴史認識ができない太平洋戦争。


1996年9月

立花 隆『脳死再論』中公文庫.1991.6.
1996.9.読了。★★
内容は同著者の『脳死』を越えない。『脳死』に対する批判への反論、日本医師会の生命倫理懇談会の報告への批判を中心にした本。いい加減な批判をしたりおざなりな報告書をまとめるのは楽だが、それに対して反論や批判を加えるのは骨の折れることだと思う。無責任な人間はどこまでいっても無責任な放言を繰り返すところが救いがない。
立花 隆『知のソフトウェア』講談社現代新書.1984.3.
1996.9.読了。★★
立花隆の本をまとめて購入したときについでに買った。(本当はこういう知的作業のノウハウ本は嫌い。)1時間ちょっとで読了。「プロの取材者にとっては、三次情報を含めそれ以下の情報源は、ほとんど取材に値しないといってよい。現場を直接に知らない人から話を聞いても仕方がないのである。(p. 223)」インターネットは現場からの直接の情報提供の場であるはずだけれど、同時に「現場を直接に知らない人」の言葉が一人歩きすることも多いなあ。
今野 浩『カーマーカー特許とソフトウェア−数学は特許になるか』中公新書.1995.12.
1996.9.読了。★★
線形計画問題の解法のひとつ、内点法がAT&Tによって特許申請されたことにまつわる騒動。数学やアルゴリズムが特許として認められるべきかというごく専門的な話を、ドキュメンタリー風にまとめており、読みやすく楽しめる。激しい技術革新・科学革新の時代に特許法がかかえる問題についても認識させられる。工学者としての著者の力量がしのばれる。
ジョイス・L・ブリスリー『ミリー・モリー・マンデーのおはなし』福音館書店.1991.9.
1996.9.読了。名東図書館より借り出し。★★
小1の娘が近所の図書館から2度も借りてきて読むくらい気に入っているというので、寝ている間に借りて読んだ。原作は1928年。労働による絆で結ばれた大家族の少女の日常を描いた物語。憎しみや悲しみや学校のない世界。子どもも含め家族一人一人が自分の仕事を成し遂げている充実感。あまりにも日常的であまりにも幸せな世界で、それゆえに非日常的な物語として楽しめる。現代の作家には描けない世界。娘は今年のクリスマス・プレゼントにファミコンをと考えていたのをこの本を買ってもらうことに変えたそうな。孤独に戦うマリオより幸せな家族の物語。
立花 隆『インターネット探検』講談社.1996.4.
1996.9.読了。★★
散歩をしていて立ち寄った書店で購入。以前手にとって買わなかったが、30分歩いたあげく書店にたどり着いて、何か買わねば、と焦った勢いで購入。Webの紹介については目新しい話は何もないが、情報を主体的に収集しようとしている人にはWWWはやはり宝の山なのだなと実感。(インターネットを使わねばならないだけの情報交換の意欲=知的好奇心がない人は、一般人にも、学生にも、大学教員にも、大勢いる。)村井純氏との対談は面白かった。日本では、政治家も官僚も自動車会社も郵政省もNTTもマスコミも教育機関も土建屋化してしまっていて、創造的に資源を利用しようとか新しい分野を開拓するために投資しようせず、今ある道路をほじくり返しては埋め戻してそれを産業と称している。目に見える勢いで沈没していく日本。
佐々木 力『科学論入門』岩波新書.1996.8.
1996.9.半分読んだ。★
科学論ってもっとおもしろいものだと思っていたのだけれど…。教科書として書かれていて、その目的からはこのように時代を追って書かねばならないのかもしれないけれど、一般の人が楽しみに読むようには書いていない。
立花 隆『脳死』中公文庫.1988.11.
1996.9.読了。★★★
脳死現場の人間ドラマ、という内容ではなくて、脳死を科学的にどのように定義するかを詳細な取材と資料の批判的検討を通して議論したもの。立花隆の取材力・批判力・構成力・執念と体力にあらためてうなってしまった。たとえば、「専門家」によって作成された厚生省の脳死判定基準(1985年)がいかに杜撰な調査と雑談的議論によっているか完膚無きまでに検討・批判している。「脳死」について、ほとんどの一般人(とかなり多くの医師)たちの誤った・不十分な知識を正すことに成功している。突き詰めていえば、脳死の議論は、死の直前と死とをどのように峻別していくかという問題であり、そこにあらわれる死の直前の状態を死と同一視してしまう危険(確かに死が避けられない状態にはあるけれどまだ死んではいない肉体から移植のために臓器を取り出してしまう危険)を犯さないためにどれだけ科学的で誠実な判定ができるかということにつきるのではないか。そしてそれは安楽死の議論にもつながると思う。脳死の議論に安易に宗教や文化を持ち出す前に医学的・科学的にどこまできちんと詰められているか追求する姿勢に共感する。科学的議論とは何か学ぶためのすばらしい教科書。『脳死再論』『脳死臨調批判』も読まねばならない。
遠藤周作『海と毒薬』新潮文庫.1960.7.
1996.9.読了。★★
近所の書店で他の本を探しているときに目にとまって衝動買い。太平洋戦争末期に九州の大学病院で起きた米軍捕虜の生体解剖事件を題材にした小説であることは知っていたが、読んでいなかった。遠藤周作の作品は、15年以上前に「沈黙」を読んで以来2作目。日本人にとって「罪」「罰」そして「良心」とは何かという重いテーマを取り上げた名作だが、解答は示していない。「沈黙」は日本人にとっての罪と罰と神とは何かをテーマにして、ある程度の解答(読者にとってのカタルシス)を与えていたと思うが、『海と毒薬』は未完成という印象を受けた。事件が起きてから10年余りしか経過していない時点で小説化・寓話化するのは無理があったのかもしれない。あらためて考えさせられたこと:
椎名 誠『銀座のカラス』(上・下)新潮文庫.1994.12.
1996.9.読了。★
椎名誠のものを熱心に読んでいたのは学生時代だったから、もう10年以上前のことになる。衝動買いして久々に読んだ。こういう赤の他人の日常のどうでもいいあれこれ物語にあの頃は熱中できたのだなあと驚いてしまった。今こういうものを読んでいるとただひたすら「時間の無駄」と後ろめたくなってしまって、教訓たっぷりの歴史物に手がのびるのは、きっと歳をとった証拠だな!ばかばかしく無駄が多く読んだらすぐ捨ててしまえるような本で1日をつぶすことをためらわなかった日々が懐かしい。
さくらももこ『さるのこしかけ』集英社.1992.7.
1996.9.読了。★
ははは。やっぱり次を買って読んでしまった。『もものかんづめ』はテレビのニュース番組を見ながら1時間半で読んだが、今度はテレビを見ずに45分で読んでしまった。1分20円。コストパフォーマンス悪い。
吉村 昭『黒船』中央公論社.1991.9.
1996.9.読了。★★
実家から借りてきた。吉村昭の小説は久しぶり。一晩で読んだ。幕末の通詞(通訳)堀達之助の生涯と黒船襲来から明治政府の成立の時代までを描く。通詞たちの勤勉ぶりと語学力に驚かされる。
さくらももこ『もものかんづめ』集英社.1991.3.
1996.9.読了。★
ははは。こういうものも読んでしまうのだ。何となく避けていたけれど衝動買い。テレビを見ながら1時間半で読了。おもしろい。でも1時間半の娯楽のために850円はちょっとムダヅカイ。うーんでも続編(『さるのこしかけ』等々)も読みたくなりそうでコワイ。次からは名東図書館で借りよう。
朝日新聞社会部編『日航ジャンボ機墜落−朝日新聞の24時』朝日文庫.1990.8.
1996.9.読了。★★
出張中に書店で衝動買い。なぜか30代になってからそれ以前よりも、人の死、特に事故による多数の人の死が胸に迫り記憶に焼き付いて離れなくなった。日航ジャンボ機の事故も最初のニュース速報をテレビで見たときから一夜明けて事故現場が明らかになるまでの情景が今でも年に何度か突然思い出されてならない。日本の上空でジャンボ機が「消息不明」になったという理不尽な事件に対する驚き、なんとかなってほしいという願いと墜落と知ったときの脱力感…。それまで別々の人生を生きていた520人の人々が同じ場所で事故死しなければならないという運命の暴力にあらためて戦慄。
M.ハーシュ・ゴールドバーグ『世界ウソ読本』文春文庫.1996.8.
1996.9.読了。★
出張中に書店で衝動買い。予想通り暇つぶし以上には役に立たず。


1996年8月

新田次郎『アラスカ物語』新潮文庫.1980.11.
1996.8.読了。★★★
アラスカエスキモーの一族を助けアラスカのモーゼと呼ばれた日本人フランク安田の生涯を描いた物語。息をつがず1日で読了。事実は小説より奇なり。義経がジンギスカンになったという話よりスゴイ。真の指導者というのは、かまえて指導者になるのではなく、人々が自ずと付きしたがい、人々に慕われることで思いもよらぬ力を発揮する人のことなのだなあ。
南條範夫『大名廃絶録』文春文庫.1993.5.
1996.8.読了。★
日本史は実は苦手なのだけど、目録で見つけておもしろそうなので探して買った。江戸時代に幕府の命によって「お家おとりつぶし」になった大名たちのそれぞれの事情を描いたもの。どうです面白そうでしょう?でもちょっと語り口が淡々としすぎて、そのうえ大名たちもご乱行ご乱心悲憤慷慨波瀾万丈の果てにおとりつぶし、数奇な運命をたどる妻子たち、というふうには盛り上がっていなくて(そういう史料が出てくるんだけれど学問的リアリティーを追求する筆者は退けてしまう)、どちらかというと幕府の官僚的策略で難癖をつけられて統廃合、という行政処分的な話が多くて盛り上がらない。おまけに「義忠の手足になって働いたのは、鮭延越前守茂綱及び楯岡甲斐守義之、」という調子なので、日本史と漢字に弱い私としては、あとで「鮭延は…」と出てきても、「お、シャケなんとかってだれだっけ?」と読み返す始末。でもよく書けている本なのは確か。江戸幕府の官僚機構についての解説本を読みたくなった。
ヘルマン・ヘッセ著.V. ミヒャエルス編.岡田朝雄訳『庭仕事の愉しみ』草思社.1996.6.
1996.8.読了。★★
近所の本屋にふらっと立ち寄ったときに何となく買った。ヘルマン・ヘッセの自然と庭についての詩と散文を集めたもの。自分の庭の石に腰掛けて花壇の金魚草を眺めている休らいだ気持ちを、活字を通して与えてくれる。「木は、私にとっていつもこの上なく心に迫る説教者だった。木が民族や家族をなし、森や林をなして生えているとき、私は木を尊敬する。木が孤立して生えているとき、私はさらに尊敬する。そのような木は孤独な人間に似ている。何かの弱みのためにひそかに逃げ出した世捨て人にではなく、ベートーヴェンやニーチェのような、偉大な、孤独な人間に似ている。その梢には世界がざわめき、その根は無限の中に安らっている。しかし木は無限の中に紛れ込んでしまうのではなく、その命の全力をもってただひとつのことだけを成就しようとしている。それは独自の法則、彼らの中に宿っている法則を実現すること、彼ら本来の姿を完成すること、自分みずからを表現することだ。」(49ページ)
Tsutomu Shimomura, with John Markoff. Takedown. London:Secker & Warburg. 1995.
1996.8.読了。★★★
翻訳されたものは丸善で見つけて結局買わなかったけれど、ヨハネスブルグで原著を見つけて衝動買い。19歳でthe Los Alamos Natonal Laboratoryのpost-doctoral researcherとなった著者がネットワーク犯罪者Kevin Mitnickを追いつめる物語。ネットワークセキュリティがらみの仕掛けなどの解説を、一般人にわかるようにかみくだいて説明している。
イヴァン・イリッチ他『脱学校化の可能性』(現代社会科学叢書)創元社.1979.10.
1996.8.読了。★★★
『脱学校の社会』を批判し補足し解説する書。なぜか『脱学校の社会』の苦さをやわらげてくれる。
イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』(現代社会科学叢書)創元社.1977.10.
1996.8.読了。★★★
21世紀へ読み継がれる教育の書。インターネットの存在しない時代にインターネットを利用して教育(学習)をする理由と方法を解説した驚異の書。次の文は噛みしめておきたい:「教授(instruction)とは学習を便利にする環境を選択することである。(社会的)役割の配分は、その配分を受けるための条件となるカリキュラムを設けて行なわれ、進級を望む志願者たちはそのための条件としてそれを課される。学校は−学習ではなく−教授する内容をそれらの役割と結びつける。このことは道理にあったことでもないし、人を自由にすることでもない。道理にあっていないという理由は、それらが資格または能力を役割と結びつけるのではなく、その資格を取得すると思われる過程と結びつけるからである。人を自由にすることではない、すなわち教育的ではないという理由は、学校はあらかじめその社会によって是認されている社会統制の手段に適合するような学習をするものにしか教授しないからである。」(P.31;カッコ内は尾関による補足)
Mark Pendergrast. For God, Country and Coca-Cola: The Unauthorized History of the World's Most Popular Soft Drink. Phoenix. 1993.
1996.8.読了。★★★
ヨハネスブルグの本屋で見つけて何気なく買った。大部(単行本で556ページ)。コカ・コーラの100年あまりの歴史を描いたもの。拾い読みするだけでもおもしろい逸話がぎっしり。いくつか引用する:

第2次大戦中に徹底的に前線までコカコーラを運んで兵士たちに飲ませたこと、ペプシとの仁義なき戦いぶりが印象的。ページをめくるごとに発見があるお買い得本。過去100年のアメリカ文化史としても読める。日本語訳は出ているのかな?

トム・クランシー『恐怖の総和』上下.文春文庫.1993.5.
1996.8.読了。★★
しばらく前に衝動買いして読んでなかった。南アからの帰りの飛行機で読むつもりだったけれど、結局現地で読了。アメリカの流行作家って、どうしてこんなに大勢の登場人物を動かせるのでしょう。どんなノート作ってプロットを書いていくのか知りたい。この程度のテーマでこれだけ長々と(約1,500ページ)書けるのは立派。
綱淵謙錠『極−白瀬中尉南極探検記−』新潮文庫.1990.2.
1996.8.読了。★★
ずいぶん前に買ったまま読んでなかった。南ア行きの飛行機の中で読了。どう控えめにみても奇人というべき白瀬中尉が、12歳で北極探検を志し、結局南極へたどり着いたのが50歳。明治の奇人たちの力を借り、小さな船(200トン)での探検行。船上でも南極でも帰ってからも不和と中傷の泥仕合の奇人たち。麦飯と梅干しと味噌汁。楽観的計画。補給なしでことを起こすのは日本人の悪弊か。「民」の冒険には徹底的に非協力と無視を貫く「官」(外務省と文部省)。つまりは史観と責任感の欠落した近代日本を生きた冒険者たちの物語。


1996年7月

ヒュー・ロフティング『ドリトル先生アフリカゆき』岩波少年文庫.1951.6.
1996.7.読了。★★
子どもに買った本を先に読んでしまった。子どもの頃読んだときにはそれほど熱中しなかったような気がする。サルにオウムに「土人」に海賊…。こういうエキゾチズムを手放しに楽しめる時代は既に終わった。現代の子どもたちは1920年のロフティングとは違う世界観を持っていることを信じたい。トールキンの描く世界の方が普遍的か。
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』全3巻.新潮社.1994.4.〜1995.8.
1996.7.読了。★★★
発刊以来2年も迷ったあげくとうとう購入してしまった。だって3巻で5,500円もするんだから。でも合計で1,100ページ余りあるから、1ページ5円弱。安い!逃れがたい村上春樹の世界。
読後感:激しい隔絶感と孤独感。退屈な日常と奇妙な人々の登場。内側に崩れ落ちる日々。不連続な過去の記憶。暴力と癒しと冒険と愛の物語。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を越えたか。


1996年6月

NHK取材班編『大日本帝国のアキレス腱−太平洋・シーレーン作戦』(「ドキュメント太平洋戦争」第1巻)角川書店.1993.8.
1996.6.読了。名東図書館より借りだし。★★★
「…これに比して日本は、満州事変以来の国家の歴史がそうであったように、物事の決定に際し論理的な判断よりもその場の空気に支配されてズルズルとなしくずしに時流に流されていく。この日本特有の『ズルズルの歴史』は、なにも戦前に限ったことではない。今日の政治状況の中にも牢乎として生きている。」3年前に書かれた文章だが、『ズルズル』状態はひどくなる一方だ。戦後の日本が何かを築き上げてきたとしても、この10年でそれを食いつぶしてきてしまっているのではないか。おそらく責任ある立場の誰もがそのような転落を体感しながら、横をにらみながらズルズルとみんなで落ちているのが今の日本だ。
NHK取材班編『責任なき戦場−ビルマ・インパール』(「ドキュメント太平洋戦争」第4巻)角川書店.1993.11.
1996.6.読了。名東図書館より借りだし。★★
インパール作戦についてはこれまでも何冊か読んできたが…。何度読んでも絶句絶望する。「…そして、そうした悲劇をもたらした日本の国の根本が、どれだけ変わったのだろうかと思う。日本はこの50年の間、何をやってきたのだろう。何百万人も死んだ戦争のあと、何をやったのだろう。…」「…そして、そのかつての日本軍の組織としての根本的な欠陥は、50年度の今も、日本のさまざまな組織の中に棲んでいる。政党や官僚、企業といった現代の組織の中で、インパール作戦と同じような事態を招き、失敗を繰り返している。…」
朝日新聞社編『多様化する<知>の探求者』(「二十世紀の千人」第4巻)朝日新聞社.1995.5.
1996.6.未読。名東図書館より借り出し。★★★
ゲオルグ・カントールからカルロス・カスタネダまで。金田一京助からノーム・チョムスキーまで。内村鑑三から吉本隆明まで。
ギルバート・大町眞須子『アメリカ小学教育の挑戦』くもん出版.1993.9.
1996.6.未読。名東図書館から借り出し。
フィリップ・ジャカン『アメリカ・インディアン−奪われた大地』(「知の再発見」叢書)創元社.1992.7.
1996.6.読了。★★
図版中心の百科事典的歴史書。魅力的なシリーズについに手を出してしまった。自分がまだ「開拓」されていないアメリカをよく知らないことに気がついた。
北尾倫彦『学習指導法の心理学−教え方の理論と技術』有斐閣.1991.4.
1996.6.未読。中部大学三浦記念図書館から借り出し。
森正義彦『学習指導法の心理学−理論的アプローチ』有斐閣.1993.3.
1996.6.未読。中部大学三浦記念図書館から借り出し。
『NAM−狂気の戦争の真実』同朋社出版.1990.7.
1996.6.読了。中部大学三浦記念図書館から借り出し。★★
米軍、北ベトナム軍双方がこれでもかこれでもかと補給をし続け、それが戦場で消耗される。武器と食料と弾薬と若者の命を泥田に打ち込み続けた姿の記録。
村上 龍『五分後の世界』幻冬舎.1994.3.
1996.6.読了。★★★
このテーマで3倍の分量を書いてほしい。
ディヴイッド・ブリン『ガイア−母なる地球』ハヤカワ文庫.1996.2.
1996.6.上巻の途中まで。
中途で挫折してはまた読み始めること3回目。今回も挫折するかな…。この中身なら分量を半分にしなさい。
後藤文康『誤報−新聞報道の死角』岩波新書.1996.5.
1996.6.読了。★★
松本サリン事件のみならず、この世にどれほどマスコミによる誤報があることか。「報道の基本」を唱える筆者に対して、「自白してカツ丼ぺろり」というおきまりの表現の使われ方には、むしろ人間の精神の薄弱さをこちら側(=新聞を読む側)に突きつけられているようでもある。新聞記者出身の著者だけに文章が読みやすい。速読向き。
『インターネットの激震』別冊宝島.1996.6.
1996.6.読了。★★
クズ記事や、「フリーライター」と称する暇人の原稿もあるが、全体としてはおもしろい。「別冊宝島」という猥雑なシリーズとインターネットとそれをとりまく喧噪の猥雑さの波長がよくあっている。


1996年5月

立花 隆『脳を究める−脳研究最前線』朝日新聞社.1996.5.
1996.5.読了。★★
アメリカの20分の1の予算で成果を上げ続ける日本の研究者たち。地道な世界。艱難汝を玉にす。ジャーナリストによる視点で書かれているので読みやすいが、物足りなくも感じる。教科書的に整理されたものも読みたくなる。こういう最先端の中身を教科書にするのはアメリカ人は得意だけれど。
萩原健太『はっぴいえんど伝説』シンコー・ミュージック.1992.10.
1996.5.読了。★★★
もはやすべてがなつかしい…。
村上 龍『ヒュウガ・ウイルス』幻冬舎.1996.5.
1996.5.読了。★★
時間が5分ずれている世界では日本は消滅し分割統治されている。その世界を襲う新種のウイルス。地下国家を形成している日本国軍がせん滅に向かう。後半やや尻すぼみ。アメリカの流行作家ならこのテーマで3倍の分量を書くはず。「…、たとえばウイルスや細胞器官を擬人化してアニミズムに堕することは絶対に避けたかった。アニミズムは知と想像力の最大の敵だ」というあとがきの言葉は、「パラサイト・イヴ」を意識してのものか。昨年「パラサイト・イヴ」を読んだとき、「なぜこの小説がこれほど評価されねばならないのか」と釈然としない気持ちになったのが、すこし落ちついた。
坂元 昂 他『マルチメディア時代の子どもたち』産調出版.1995.5.
1996.5.読了。★★
『英語展望』96年夏の号掲載の書評原稿
産経新聞社会部編『大学を問う』新潮文庫.1996.5.
1996.5.読了。★★
実情はよーく知っているつもりだけれど、はっきり書かれるとあらためて溜息が出る。口先だけで「改革」を唱える人も、口先だけで改革を批判する人も、足下と行く末の両方をじっと見つめてほしい。
朝日新聞社編『テクノ時代の創造者』(「二十世紀の千人」第5巻)朝日新聞社.1995.8.
1996.5.半分読んだ。名東図書館より借りだし。★★★
アンリ・ファーブルからスティーヴ・ウォズニアックまで。ジュール・ヴェルヌからカール・セーガンまで。北里柴三郎から利根川進まで。20世紀はテクノの世紀。
NHK取材班編『エレクトロニクスが戦いを制す』(「ドキュメント太平洋戦争」第3巻)角川書店.1994.1.
1996.5.読了。名東図書館より借りだし。★★★
名東図書館でも人気のシリーズ。(本のいたみが激しい。)レーダーというテクノロジーの使用に無知・無関心・否定的な軍上層部がアメリカのレーダー技術の前に惨敗し、若者の命を犠牲にし、なおもかたくなに精神論をふりかざす。「レーダー」を「コンピュータ」や「ネットワーク」に置き換えれば現在の状況にそっくり当てはまる。無反省。資質の欠落した管理職。50年では国民性と教育は変わらないのか。
朝日新聞社編『マージナル・ピープル』(「二十世紀の千人」第10巻)朝日新聞社.1995.11.
1996.5.読了。名東図書館より借りだし。★★★
一人当たり4ページで、20世紀に活躍した人物たちを1冊あたり100人とりあげた評伝集の最終巻。小泉八雲、アムンセン、魯山人、ターザン、アル・カポネ、ピーターパン、阿部定、横井庄一、ポパイにサザエさんに車寅次郎にビリー・ミリガンに麻原彰晃にかい人21面相まで。冒険家に犯罪者に虚構の人物たち。これらの人々が、政治家や文学者よりもその時代と国民性をいきいきと体現しているのは、驚くべきことか当然のことか。
柴谷篤弘・養老孟司『恐竜が飛んだ日−尺度不変性と自己相似』ちくま文庫.1995.12.
1996.5.読了.★と半分
八重洲ブックセンターで衝動買い。野暮用で地下鉄に1時間半ほど乗った隙に読了。対談をまとめたものだが、本人たちはとっても楽しそうに対談しているのに、読んでいる側は、興味深いけれどもドキドキはしない。両者の著書を多数読んでいる人には楽しめるかも。柴谷篤弘・養老孟司ファンによる、ファンのための対談。


1996年4月

大下英治『NHK王国 ニュースキャスターの戦場』講談社.1992.12.
1996.4.読了。名東図書館より借りだし。★
借り出して開いてみたら、異常にタバコ臭い本だったので、なかなか読み出せなかった。風邪を引いて鼻がつまっている間にすばやく読了。89年の天安門事件のくだりは、緊迫感が伝わってくる。当時のNHK特集をもう一度見たい。
朝日新聞社編『メディア社会の旗手たち』(「二十世紀の千人」第6巻)朝日新聞社.1995.2.
1996.4.読了。名東図書館より借りだし。★★★
一人当たり4ページで、20世紀に活躍した人物たちを1冊あたり100人とりあげた評伝集。(既に第3巻を読んだ。)黒岩涙香からウィリアム・ギブソンまで。安直なようであるが、各界からの執筆者の論調は鋭く、既に知っているつもりであった人物についても新たな発見がある。もちろん、さっぱり知らなかった人物についても一通りの知識を得ることができる。(自分は映画・演劇に弱いことに改めて気がついてしまった。)索引・参考文献一覧が完備しているのも、当然とはいえ、ありがたい。借り出したい本が見つからないときにはこのシリーズを。1000人まとめてCD-ROM1枚にしてほしい。
トム・クランシー『トム・クランシーの原潜解剖』新潮文庫.1996.4.
1996.4.読了。(中途でやめた)★
トム・クランシーは実は結構好きです。「レッド・オクトーバー」で名を馳せた筆者が原潜を取材して書いたもの。潜水艦の中の生活というのに興味があって読み始めたが、7割方読んだところで放棄。自分は兵器オタクでないことがわかった。
朝日放送記録グループ編『大震災放送局24時間』ASAHI NEWS SHOP.1995.4.
1996.4.読了。名東図書館より借りだし。★★
阪神大震災のその日に、朝日放送系のテレビ・ラジオのスタッフがどのように行動したか記録したもの。95年の4月に刊行された、つまり震災の直後に書かれたものであるだけに、生々しく、痛々しい。
ジョージ・ギルダー『テレビの消える日』講談社.1993.5.
1996.4.読了。★★★
話題になった書をやっと読むことができた。原著は92年なので、その3年後のインターネットの爆発的普及とその後に当然予想されることを予見しているという点で、驚かずにはいられない。と同時に既存のすべてのマスコミ(テレビ、新聞、雑誌)の消滅への大きなうねりが既に起きていることに日本のマスコミが無関心でいるように見えるのにも改めて驚きを感じる。これは自信の現れというより単なる無知か。同じことは教育界にもいえるのだが…。
ジョージ・スペルヴィン『ジュマンジ』扶桑社エンターテイメント.1996.3.
1996.4.読了。★
映画を小説化したもの。忙しくてどうにもならないときに限って、ついこういうクダラナイ本を読みふけってしまうものです。2時間で読んでしまった。きっとファミコン化されるのだろうけど(セガ・サターンかな?)、さいころを振って目が出ると突然壁からサイの群がどどどどどっと押し寄せてきて何もかもけちらしてしまったりするあたり、むしろWWW向けじゃないかと思う。何気なくつないだ見知らぬホームページに悪趣味なグラフィックスが画面いっぱいに現れてギャッと叫ぶときの気分。ネットサーフィンしすぎた夜の悪夢のよう。VRML対応で、『ジュマンジ・ホームページ』が現れることを予言してしまおう。映画『ジュマンジ』についてはこちら。


1996年3月

スティーブン・レヴィ『マッキントッシュ物語−僕らを変えたコンピュータ』翔泳社.1994.2.
1996.3.読了。★★
何か邦題が軟弱ですが(原題は"Insanely Great: The Life and Times of Macintosh, the Computer That Changed Everything")、きちんとした取材がしてあり、かれこれ12年Macを使ってきた私にして初めて知る事実も書かれている。Macをパーソナルコンピュータの歴史上に位置づけ、パーソナルコンピュータの発明を人類史に位置づけているという意味で、正しく「マッキントッシュの時代」を書いている。
リチャード・リーキー『ヒトはいつから人間になったか』(サイエンス・マスターズ3)草思社.1996.2.
1996.3.未読
ポール・デイヴィス『宇宙最後の3分間』(サイエンス・マスターズ2)草思社.1995.11.
1996.3.未読
戸塚滝登『コンピュータ教育の銀河』晩成書房.1995.11.
1996.3.読了.★★★
小学校教員である著者の実践を魅力ある語り口でまとめている。コンピュータやネットワークを教育に利用しようとするものすべてにとって必読の書。戸塚氏の実践を知らずしてコンピュータ利用教育の是非や可能性を論じるのは、愚かであり危険。(私も愚かでした。)
J.R.ホイジンガ著.青木薫訳『常温核融合の真実−今世紀最大の科学スキャンダル』化学同人.1995.1.
1996.3.半分読んだ.名東図書館より借りだし.★
大部。(約530ページ。)科学者によるルポ。内容はタイトルが表すとおり。アメリカで「常温核融合」がブームになり、どうも怪しいぞということになり、熱が冷めた頃になって、日本が官民一体で突然「常温核融合」に取り組み出す、そのタイミングの遅れ具合と集団性がいかにもという感じ。
アーサー・C・クラーク著.山高昭訳『楽園の日々−アーサー・C・クラーク自伝』早川書房.1990.8.
1996.3.未読.名東図書館より借りだし.
SF作家、アーサー・C・クラークの回顧録。半生を回顧しながら自分の作品と結びつけている。元々雑誌に連載されたもののようで、短い読み切りで読みやすい。
脇 英世『ビル・ゲイツの野望』講談社.1994.11.
1996.3.読了.名東図書館より借りだし.★
ルポものかと思って読み始めたので、全くインタビューなどしないで既存の資料の孫引きをまとめたものであるので驚いた。そのうえ自分の理念とか展望とかいうものも全く示していないので更に驚いた。事情通による資料集と思って読むべき。著者の他の著作を見ると、『日本語ワードプロセッサ入門』『パソコン通信入門』など。なるほど。
有我成城・他『一歩先行くインターネット・Java入門』翔泳社.1996.2.
1996.3.未読.
閉店間際の八重洲ブックセンターで衝動買いした。Macが早くJava対応しないかなあ…。
斎藤由多加『マッキントッシュ伝説』アスキー出版局.1996.2.
1996.3.読了.★
同名のCD-ROM版を買い損ねたのだが、本になったのを八重洲ブックセンターで発見して衝動買いしてしまった。インタビューを積み重ねてあることに敬意は表するが、いままでにどこかで読んだことのある話ばかりで、ちょっとお金がもったいなかった。私も今度私蔵のベージュ色Mac+最古の日本語システムをご披露する会でもしようかな。
橋本典明『メディアの考古学』工業調査会.1993.3.
1996.3.未読.杉浦さんの蔵書を借りだし.
よく整理してある。学生の参考図書向き。
伊藤正孝『南ア共和国の内幕−アパルトヘイトの終焉まで−(増補改訂版)』中公新書.1992.5.
1996.3.読了.★★
100校プロジェクト発表会に行った際、池袋の東武デパートの書店で、ここまで来たから何か買わねば、と焦ったあげく購入。(本の選定に手間取って昼食を食べ損ねた。)アパルトヘイト時代の南アのすさまじい人種差別を描いた貴重なルポと、アパルトヘイト撤廃後の混乱する南アの姿を描いたもの。南アに行ったことのある者として、ヨハネスブルグの中心部を一人で歩く無謀さには唖然とした。(案の定強盗に襲われて負傷してしまう。)
フレッド・ハプグッド著・鶴岡雄二訳『マサチューセッツ工科大学』新潮社.1995.9.
1996.3.読了.★★
MITの来歴と、そこにすむ様々な奇妙なエンジニアたちの姿を描いた本。ナードやハッカーの文化を知ることもできる。おもしろい。翻訳のレベルにムラがあり、とんでもなくいい加減な訳も混じっているので、アルバイトに下訳させたのかもしれない。


1996年2月

斎藤茂男『生命かがやく日のために』講談社+α文庫.1996.1.
1996.2.2/3まで読了.★★
産まれた子供が障害児だったら、という人の親としてさけて通ることの出来ない恐れに対して人々がどのように反応し行動したかというルポ。きれい事ではない苦しみに七転八倒しながらも「命の大切さ」という一点に収斂していく姿に敬意を払いたい。
黒田清『震災と人間』三五館.1996.1.
1996.2.読了.★★
1年前、一生忘れることが出来ないと思った阪神大震災が、早くも風化し始めていることに戦慄してしまう。


1996年1月


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