1999年に読んだ本

−極私的読書ノート−

 このリストは全くもって無節操かつ全方位的な私の読書行動の記録をとどめるために作成・更新しているもので(特に図書館から借りだした本の記録を残す必要があって)、個々の著作について責任ある書評を提供しようとするものではありません。また、原則としてお仕事関係の本は除いています。(★=読まなくてもよかった。人には勧めない。★★=まあまあ。読んで損はなし。★★★=スバラシイ。目から鱗。おすすめ。)                      


1999年私の読書(現時点での)トップ5

第1位:
第2位:
第3位:
第4位:
第5位:


1999年3月

『シン・レッドライン』(上・下)1999.角川文庫.
99.3.上巻読了。
太平洋戦争での

1999年2月

 

1999年1月

柳田邦男『零戦燃ゆ』(全6巻)1993.新潮文庫.
99.1.途中まで読んだ。(2月読了)★★★
正月休みに実家にあった単行本の第3巻(渾身編)をひろい読みし、結局文庫本6巻を買い求めて読み始めた。文庫本で二千ページを越える大著。以前読んだ『零式戦闘機』が零戦の開発物語であったのに対し、これはむしろ零戦パイロットの戦いのルポとなっている。綿密な調査によって調べられた膨大な数のパイロットたちの実名と戦いぶりが詳細に語られ、それを主軸として太平洋戦争の経緯が表れてきている。これは歴史書や小説ではなくルポルタージュの形式である。  著者の柳田氏の問題意識は、あとがきの「この国では徹底した調査というものがこれまでになされたことがあっただろうか」という言葉に端的に現れている。事実から真剣に学ぶことのない日本人の悲劇がつづられている。  内容は、第3巻にして早くも悲惨の一言であり、読み続けることに苦しみを感じるほどである。これを読んで、航空戦というものが理論と計算に則ったものであり、航空機の開発から戦術まで含めると、実にシステマチックなものであることがよくわかる。そこにパイロットの高度な技量とこの時代独特の張りつめた精神主義が加わって、ステレオタイプ化された「愚かな戦争」という表現ではあらわせられないものが見事に表現されている。言い換えれば、「戦争」は愚かな企てであるとしても「戦闘」には合理的な計算が必要であるわけだ。無為無策の精神主義のうちに負けていったという単純なものではなくて、合理的に計算し、総力を挙げた努力をし、超人的努力と技術と天才的ひらめきと勇気のすべてを傾けて戦い、全く勝算なく完膚無きまでに津波に飲み込まれるように負けて屍となっていったのである。「ダメだったから負けた」のではなく、すばらしい力を発揮して、しかもひねりつぶされるように負けたことに戦慄を感じる。そして、その背景にある日本のくらい部分が、今もそっくりそのまま生き残って日本社会の基調を作っていることにもぞっとする。つまり、我々は、狡猾に戦いを避けて生き延びていくか(今までずっとそうしてきたように)、勇敢に全知をかけて戦いひねりつぶされるようにあっさり負けてしまうか二つに一つしかない、という思いにとらわれる読後感だった。
井沢元彦『逆説の日本史 4.中世鳴動編[ケガレ思想と差別の謎]』小学館.1996.6. 1,600円
1999.1.読了。父から借り出し。★★
この手の本で1年を始めたくなかったけれど…。


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OZEKI, Shuji;ozeki@clc.hyper.chubu.ac.jp